東京工科大学 名誉教授、日本創造学会 評議員
奥 正廣
2020年3月に国連の第8回世界幸福度報告(World Happiness Report:略してWHR)※注1 が出た。これは2012年以来毎年発行されている。その幸福度ランキングで日本は、2012年の44位から経年的にほぼ着実な下降傾向を示し今年は62位になった。何でもそうだが、たった1回の数値やランクはあまりあてにできないし、数値化する原データや計算・分析法まで理解しないと、その前提や数値の意味などを誤解し得る。そこで、この報告書の概要を紹介したい。無料で閲覧・ダウンロードできるのだから、各自、“エビデンスベーストの証拠に基づく独自考察”ができる。たぶん、メディアを通じて“世間”に流布しているイメージと大分印象が違うだろう。自ら原データ(エビデンス)に当たり、自ら考察することの重要性を実感してもらえたら幸いである。
なお、過去の報告書も含めれば、下記で閲覧・入手できる。
https://worldhappiness.report/archive/
第8回報告は、とくに社会、都市、自然の環境に焦点を当てた分析がなされている。また17のSDGs(Sustainable Development Goals)との関連も6章で検討されている。今回は、幸福度ランキングを中心にした2章の概要を、その根拠に触れつつ簡単に紹介する。前もって要点をまとめておくと、次のようになるだろう。
データでは150以上の国を対象とし、各国の幸福度を、「キャントリルの階梯(Cantril Ladder)」という尺度で測られる主観的生活(人生)評価の平均で算出している。「(自分にとって)ありうる最悪の生活」を0、「(自分にとって)ありうる最高の生活」を10とし、現在の自分の生活状態をそのものさしに位置づけ評価するものである。第8回の生活評価データは2017~19年のギャラップ世界世論調査(GWP:Gallup World Poll)に基づく。これは世界人口の約98%を代表する調査だという。
なおここでの幸福度(Happiness)は前述尺度に基づく(主観的)生活評価のことであり、(より短期的に変動しやすい)ポジティブ感情を中心に評価する主観的幸福感ではない。後者は社会心理学系の幸福研究で典型的に使われるが、その類の研究は場を改めて検討する。なお本報告ではポジティブ/ネガティブ感情との関係も検討している。※注2
OECDが2013年に「Guidelines on the Measurement of Subjective Well-being(主観的ウェルビーイングの測定に関するガイドライン)」(*)を発行した。これは幸福度を含めた種々の国際調査が普及するにつれ、調査間の比較可能性を担保するためにも、幸福度測定法の共通化・標準化が必要になってきたためである。そこで、従来の諸研究を踏まえ、国や国際機関が調査に使用できるように、主観的幸福度に関するプロトタイプの調査モジュールを開発し、調査のガイドラインを示したのである。そのガイドラインでは、主観的な幸福の3つの異なる要素を考慮する。
である。なお3はアリストテレスが最高の幸福状態(最高善)と考えたユーダイモニア(Eudimonia)概念等を反映している。キャントリルの階梯は1に対応するが、ガイドラインではもっと単純に自分の生活満足度を直接尋ねる質問になっている。それは、主に、(a)従来の研究の結果、両者の結果に大きな違いがないこと、また、(b)前者は一般的な家計調査等の多様な調査に組み込むには質問が複雑なため、である。World Happiness Report(WHR)2012の6,7章、WHR2013の7章等も参照。
(*)https://www.oecd.org/statistics/oecd-guidelines-on-measuring-subjective-well-being-9789264191655-en.htm
“主観的”というと、科学的にいかにも頼りなく感じるかもしれないが、換言すれば“経験的”ということであり、個人の経験・実感こそ基本だという社会・思想潮流を反映しているとも言える。(たとえば、製品デザインでアップル社が先端を走ったのも、いち早く“経験のデザイン”を打ち出したからであった。)この潮流は個々のライフ(人々の生命・生活・人生、生きもの、生態系、地球、・・・)を尊重する社会・世界の見方とも共鳴する。生活の豊かさ指数としての(一人当たり)GDPの代替、あるいはそれを1要素とした指数模索の代表的試みの1つである。※注3
主観的ウェルビーイングの客観的メリット(健康等に関する効果)に関しては多くのエビデンスがある。たとえば、WHR2013の4章でそれが検討されている。そこでのエビデンスを整理したTable 4.1を紹介しておこう。そこでは、主観的ウェルビーイングの効果を、①健康と長寿、②収入・生産性・組織行動の向上(創造性や協働含む)、③望ましい個人的・社会的行動(対人関係や向社会性)、に分けて整理している。
この生活評価(幸福度)は変数として安定していて信頼できるものなのだろうか。その点に関し、トップ5の国は、順番は入れ替わっても2012年の第1回報告から変わらず(フィンランド、デンマーク、ノルウェー、スイス、アイスランド)、10位まででも1国しか入れ替わりがない。このように、上位は安定していて、しかも実際に上位の国は以下に述べる6説明変数の評価も高い。したがって、生活評価値はそれなりに安定していて、トップランクの国は実際に客観的社会指数(説明変数)の高さとも対応しているので、信頼性は高いと推測できる。また個々人の生活(人生)観は多様であろうが、個々人の主観的満足度尺度上に自分の生活を位置づけるのだから、(どんな生活・人生観に基づくのであれ)生活満足度という意味では個人・集団間の比較が可能であると考えられる。(なお7章に一貫してトップランクを維持する北欧諸国の特徴考察がある。)
ただ、中位ランクの国の順位にどれほど意味があるかは議論の余地がある。とくに東アジアの国々は、生活評価(幸福度)等の主観的評価は抑制的で中庸の反応を示す傾向のあることが研究でわかっていて、ここでの幸福度も、説明変数の重回帰モデルから推定される値・順位よりも低い傾向にある。その意味でも、日本の幸福度順位自体に一喜一憂するのは望ましくない。※注4 もっと全体的・構造的な検討・理解が有益だ。次節でそれを行う。
日本の幸福度ランキングがあまり高くないのは、寄付習慣のない日本は⑤寛大さの値が低いからだというような見解もあるが妥当ではない。本文でも触れ、また報告のFigure2.1(一部:赤部分の左の薄い赤部分が「寛大さ」、濃い赤部分が「汚職」)に示されているように、⑤の幸福度への寄与は小さいからだ。またランキングが経年で下がってきているのは、日本の幸福度(値)にほぼ変化がないの対し、幸福度が上昇した国がランキングを上げたのだ。(全体の幸福度平均は経年で上昇している。)参考までに、2017-19年データ平均での、日本の6説明変数の順位を示しておこう。その間の日本の幸福度が60位付近であることを踏まえて眺めるとよい。①一人当たりGDP(25位)、➁社会的支援(54位)、③健康寿命(2位)、④自由度(73位)、⑤寛大さ(129位)、⑥汚職(114位)([1],Statistical Appendix for Chapter 2)。なお本文で示したように、幸福度への寄与の高いのは①~③やせいぜい④までであった。
生活評価値を基準(被説明)変数とし、その値を次の6説明変数で推定する重回帰分析 ※注5 を考える。
(なおこの場合は、より精度を上げるために2005~19年に及ぶデータを利用している。)それによって、その6変数が生活評価(幸福度)にどう寄与するかがわかる。その6説明変数とは、①一人当たりGDP(対数)、➁社会的支援(困ったときに頼れる人がいること)、③健康寿命、④人生の選択ができる自由度、⑤寛大さ(過去1か月の間にチャリティなどに寄付をしたことがあるか)、⑥汚職(政府やビジネスでの汚職・腐敗の程度の認識)、である。
なお関連して、(前日の平均としての)⑦ポジティブ感情と⑧ネガティブ感情データも検討される。⑦と⑧の感情評価は、実験や小規模で短期の調査で幸福感指数として使われることが多いので、上記変数との関連を検討するために導入されている。その結果がTable 2.1に示されている。
左端列が幸福度の重回帰モデルになるが、その左端列から順に簡潔に説明し補足する。
多変量解析法の1種。複数の説明変数(独立変数)の重みづけられた値の和(線形モデル)として基準変数(従属変数:この場合実際に調査された生活評価=幸福度)値を推定することを考え、実際の値と推定値のズレが最も小さくなるように、説明変数の種類・数と各説明変数の重み(係数)を決める手法。そして採用され重みづけられた説明変数の和としての、基準変数の推定式が重回帰モデル。
WHRでは重回帰分析が多用されている。それは、幸福度のような従属(被説明)変数に対して、どんな独立(説明)変数がどの程度影響(寄与)するかを明らかにできるからである。例えば、WHR2016の4章では、グローバルな政策レベルでの3つの選択肢―経済的自由主義(リバタリアニズム:最小国家と自由市場)、富の生成(消費者主義:経済成長重視)、持続可能な開発(ホリズム:地球社会の健全な持続)―の幸福度への寄与(影響)を検討している。それぞれの指数(index)として、経済的自由度指数(IEF)、世界競争力指数(GCI)、SDG指数(SDGI)(*)があるので重回帰分析できるわけだ。その結果がTable 1に示されている。この結果から、経済的競争力(GCI)とSDG達成(SDGI)の両方は(国家間の)幸福度の一部を説明するが、経済的自由(IEF)は説明しないことが示唆される(Cantril Ladder(4)列)。次に、GCIとSDGIが標準的なマクロ経済的決定要因を超えて幸福度の決定要因を捉えているかどうかを理解するために、一人当たりの国民所得と失業率(ともに幸福度に大きな寄与を持つ要因であることは先行研究でわかっている)を説明変数に加え、重回帰分析してみる(Cantril Ladder(5)列)。すると、GCIは説明力に欠けるが、SDGIは統計的に有意である。言い換えると、SDG指数には、これら2つのマクロ経済変数を超えた幸福に関する情報が含まれているが、GCIには含まれていないことがわかる。こうして、人びとのウェルビーイングを高めるうえで、SDGsとの関係の検討は重要な意味を持つことがわかる。またグローバルあるいは国家政策としても、人々のウェルビーイングを高めたいのであれば、経済的自由主義や消費者主義は望ましくなく、必然的に持続可能な開発(個人的にはdevelopmentの訳は発展の方が適切だと思うが)という選択肢になる。その具体化がSDGsであり、それは政策的に測定可能で達成可能な(制御可能な)社会的諸目標と言えるだろう。(*)ここでのSDGIは、幸福度関連の変数を除いて調整された指数になっている。
今までのWHRやその他の研究で、所得不平等よりも生活満足度不平等(分散大)の方が幸福度に悪影響する、言い換えれば、生活評価(満足度)の不平等(格差)が小さいほど、当該国・地域の満足度は高い傾向がわかっている。そこで、従来の研究から推測される、不平等の重要な影響因2種を取り出し影響を検討することを考えた。
しかしGWPでは、一般的に利用できる社会的信頼変数がない(⑥は一種の反転項目)ので、より幅広い項目データを収集している欧州社会調査(ESS:the European Social Survey)を用いて、社会的・制度的信頼(社会的困難時に社会的・制度的支援やセーフティネットがあると信じられるか否か)という変数を取り出した。また前記内容や従来の研究から、幸福感には、社会的つながり(親しい友人の多寡や集まりの頻度等:前記②にある程度対応)も重要であることが示唆されているので、その2変数を制御して、幸福度(生活評価)がどう変わるかを検討した。その結果がFigure2.5である。(詳細は記載されていないが、ESSデータで、上記同様の重回帰モデルを作り、幸福度を推定しているのだと思う。)
横軸は(推定された)幸福度(生活評価)、縦軸は対応する人の密度(該当人数割合の指数)である。パネルAは社会的・制度的信頼の高(緑)/低(灰)に対応する人の密度分布である。社会的・制度的信頼の高い方が、分布が右寄りでピークが上がり幸福度の高まっていることがわかる。パネルBは社会的つながりの高(緑)/低(灰)での分布で、(信頼ほどではないが)前者の方が幸福度の高いことがわかる。パネルCは信頼&つながりの高(緑)/低(灰)での分布で、その差が一番顕著に出ている。パネルDは信頼&つながりの高(緑)と現実の社会条件(灰)での分布の比較である。信頼とつながりが高くなると、幸福度の低い人の幸福度が上がることがわかる。この4図から、幸福度に社会的・制度的信頼の影響の大きいことがわかる。
以上から、幸福度の上昇や不平等の低減に、社会的・制度的信頼や社会的つながり・支援が、経済的豊かさ(①)以上か同程度に重要であることがわかる。その意味で、この生活評価(幸福度)およびそれと6変数との関係は、それなりに、GDP的指数を越えた、あるいはそれも包含した幸福やウェルビーイングの指数であり構造になっていると言えよう。
本稿では世界幸福度調査2020の2章の中心的内容を検討し、そのまとめは冒頭に示した ※注7。他にも興味深い内容・分析がある ※注8。ぜひ自ら報告書にあたっていただきたい。※注9
奥 正廣
専門は、社会心理学、社会工学、創造性研究。東京工業大学理学部応用物理、同大学院社会工学修士課程修了、同博士課程単位取得満期退学の後、(社)農村生活総合研究センター研究員。日本各地の地域社会調査に携わる。平成3年、東京工科大学着任。教養学環長を経て名誉教授。日本創造学会 理事長,会長等歴任。
たとえば、関連して2006年から19年までの注目すべき変数の世界動向も検討している。結果を簡単に紹介しておこう(報告書のFigure2.2、Figure2.3)。
本文の考察とまとめを踏まえ、多少飛躍した仮説を述べる。幸福度下位地域が幸福度中位をめざすなら、①関連の「経済的豊かさ」、③関連の「医療・保健の充実」とともに、②関連の「社会的つながり」や「地域コミュニティの維持・活性化」の努力がとくに重要だろう。しかし、経済発展や都市化が進むと、②の従来の(インフォーマルな)伝統的コミュニティは衰退する傾向がある。したがって、幸福度中位の地域が幸福度上位をめざすなら、複雑化する地域に対応して、さらに、⑥関連の「社会的・制度的信頼」が一層重要になるだろう。GWPでは「汚職の無さ」という消極的な社会構造指数であったが、もっと積極的に、安心して長期的に信頼できる(合理的な)社会構造や法律・制度の確立をめざすべきだろう。残念ながら、現代日本に一番欠けているのは⑥関連の「社会的・制度的信頼」のように思われる。もちろん、“合理的”とは、国家や企業等にとってではなく、「一人ひとりの生活者にとって(の目的・目標達成に対し)合理的」という意味でである。問題解決の成否は、まずその目的・目標に依存するからだ(目的合理性)。ちなみに、ここでの幸福度研究も、北欧諸国のような地域・社会特性を理想・目的イメージとして暗黙の前提にしているとも言える。しかし幸福度尺度自体は、自分の思い描く最悪と最高の生活(人生)というものさしの中に現在の自分の生活状態を位置づけるだけだから、研究の暗黙の前提に影響を受けているわけではない。結果がそうなっているということであり、研究の見通し(従来の諸研究を踏まえた、望ましい生活・人生の在り方に関する仮説)は、グローバルに見れば妥当であったということであろう。この点は、WHR2016の4章で厳密に検討されている。その概要を注5に記した。日本では、戦後のキャッチアップ型近代化は経済発展至上主義的国家運営(消費者主義)であったが、1980年代の中曽根政権の頃からレーガン・サッチャー的な経済的自由主義が導入され現在に至っている。関連して大学経営でも、その流れに呼応する(米国由来の)アカデミック・キャピタリズムが入ってきた。今の日本の大学が翻弄されているのはその流れであるが、日本では1991年の「大学設置基準の大綱化」あたりが画期と言えるだろう。
6変数すべてで現実の最低値をとったディストピア(暗黒郷:理想郷の対極)を想定すると、その幸福度は1.97になる。そのとき実際の世界平均の幸福度は5.47と3.50ポイント上回っている。この3.50ポイント上昇の構成は、寄与の高い順に、➁社会的支援(33%)、①一人当たりGDP(25%)、③健康寿命(20%)、④自由(13%)、⑤寛大さ(5%)、⑥汚職(4%)となる。これから、幸福度の上昇に、経済的豊かさ(①)よりも社会的支援(②)の方が重要であるとわかる。