前回「なぜ今well-beingか(2)」では、世界幸福度報告(WHR)[1]に基づき、主観的幸福度(SWB:Subjective Well-Being)の追求とSDGs(Sustainable Development Goals:持続可能な発展目標)の追求が、持続可能な望ましい社会実現のための両輪(2つの推進力)になっていることが推測された。今回は、主観的well-being(SWB)に関し、欲求や動機づけの観点からの実証研究の源流に焦点を当てる。
主観的well-beingの何がどのように“良い(well)”かについてどんなことがわかっているのだろうか? やがては日本文化の特性についても検討するつもりだが、well-beingは欧米起源の概念であるから、まず欧米の研究の流れで検討する。
“良さ(wellness)”の評価軸は人それぞれである。金持ちになること、有名になること、高い地位に就くこと、オリンピック選手のように特定競技で勝つことあるいはトップに立つこと、楽しいことをすること、チャレンジし続けること、倫理的に(善く)生きること、楽しい家庭をつくること、悩みや不安がないこと、などさまざまである。そして、どんな評価軸(価値観・人生観など)であれ、その評価軸で自分が“良い”状態にあると思えばbeing wellであり、主観的well-being評価は高くなる。
その主観的well-beingを科学的に測ろうと試みたのが、哲学的心理学者のマズロー(Abraham Maslow:1908-70)である。彼は、個人の欲求は人それぞれであるが、どの欲求が支配的であるかによって、人格(personality)の違いを生み出し、欲求は階層性を成すとして、欲求階層(Hierarchy of Needs)説を提案した。その中で「自己実現(self-actualization)」欲求を提唱したとして、日本でも有名である。だが、ここには誤解があると彼は晩年の著書で指摘している。多くの人は、彼の欲求階層の頂点に自己実現欲求があると思っているかもしれないが、マズローは晩年の大病で新たな洞察を得て、自分の説を修正した。著書改訂版[2]の序文で次のように記している。
つまり、自己実現がトップになっている、あの有名なピラミッド型の欲求階層図も彼は提案していないということである(その歴史的由来・経緯もある程度明らかになっている[3])。では彼が本当に伝えたかったことは何だったのか。それを、近年の研究でかなり明らかにされた、彼の晩年の思考に基づいて説明する[4]。
マズローは、欲求には欠乏欲求(D欲求:Deficiency needs)と成長欲求(B欲求:Being needs)があるとした。
まず、欠乏欲求について整理してみよう。欠乏欲求は、それが欠乏しているとき顕在化し、満たされると低減・消失する欲求である。(a)生理的欲求(Physiological needs:空気,水,食物,庇護,睡眠,性等)、(b)安全・安心(Safety and Security:安全・安心、危険・脅威からの自由,健康等)、(c)愛と集団所属(Love and Belongingness:個人や集団とのつながり・親和性,役割取得等)、(d)自尊心/他者からの尊敬(Self Esteem/Esteem by Others:自己尊重と他者からの尊敬・信頼)、がある。これらの満足が大きく欠けると、それぞれの意味で不健康な状態に陥る。たとえば、(c)が不足すれば、分離不安、対人関係への不安、病的自己愛(ナルシシズム)、自己疎外や孤独に、(d)が不足すれば、自信喪失や根無し草の感じ、アイデンティティの拡散・喪失等に陥るだろう。
一般には、「マズローは下位段階の欲求が満たされれば、すぐ上の欲求段階に進むと考えていた」と理解されているが、彼はそう考えてはいなかった。実際、彼は次のように記している[5]。
優勢な欲求が満たされた後に新しい欲求が現れるということについて述べると、この現れは突然一足とびの現象ではなくて、無からゆっくりと徐々に現れてくるのである。たとえば優勢な欲求Aが10%しか満たされないと、欲求Bは全く目に見えないであろう。ところが、この欲求Aが25%満たされると欲求Bは5%出現し、欲求Bは50%現れるという具合である。
次に成長欲求について整理すると、成長欲求とは、未来の可能性に開かれ、その可能性を実現したいという(やむにやまれぬ)全人格的衝動である。欠乏欲求は、基本的に、目標が明確であり、目標に近づくと充足・満足(飽和)するということがあり、そこで減衰する特性を持つが[6]、成長欲求は、目標が理想的可能態であり、ある時点の目標に近づけば、目標自体もより高度で困難なものに移行・変容し、簡単には充足せず、チャレンジは継続するような特性を持つ。つまり、目標自体ではなく、そこに至る過程あるいは活動自体の質に焦点があり、その活動によって自己の進歩や成長を感じられるか否かということである。
彼は、初期には、成長欲求を、(e)自己実現欲求(Self-actualization needs)のみとし、それを自分の潜在能力や可能性を最高度に現実化しようとする欲求であるとしていた。しかしこれは、(最初の引用に記されたように)自己内の満足に閉じている。ここで晩年、自己実現概念が社会的に誤解される傾向があることに気づき、また心臓発作も重なり、その回復期で実施されなかった米国心理学会会長(1967-8)の就任講演の草稿冒頭に次のように記した[7]。
実際、彼は、人間主義心理学と雑誌(Journal of Humanistic Psychology)(1961-)の創設者であるとともに、晩年、トランスパーソナル心理学雑誌(Journal of Transpersonal Psychology)の創刊者の1人になった(1969)。
最新の研究文献[8]の知見も入れながら、彼の晩年の欲求階層と思想の要点、およびその後の関連実証研究等をまとめると、図表1のようになるだろう。
図表1のもとに今までの議論をまとめると、(a)生理的欲求~(d)自尊心/他者からの尊敬が完全に充足された場合のみ上層欲求に移るというような順序関係はない。(a)~(d)のいずれかの欲求が欠乏すると、その欲求が満たされるように動機づけられ、行動がなされ、生活が秩序づけられていく。たとえば、(a)生理的欲求で飢餓状態にあれば、周囲のあらゆるものが食べられるか否かで眺められるであろう。また(b)安全・安心の欲求では、幼少児が、安全基地(secure base)の存在が感じられなければ、その児は安心の対象を執拗に探し求めるか、他者からそのような安全・安心が得られないことに絶望し、自己愛的に自己に閉じこもるようになるかもしれない。基本的な安全・安心に基づく(自己拡張的・成長的な)探索行動は取れなくなるだろう。これは、マズローの院生時代の指導者・ハーローのアカゲザルの母性剥奪研究[9]やボウルビイとエインズワースによる愛着研究などで明らかになってきたことだ。
彼の欲求階層説で最重要なメッセージは、欠乏欲求と成長欲求は質的に異なるということだ。つまり、欠乏欲求は“欠乏低減(欠乏充足)指向”、成長欲求は“成長指向”だということである。両者は、短期的・表面的には似ている場合があっても、基本的に、欠乏欲求は病的・破壊的であり、成長欲求は健康的・成長的である。なぜなら、欠乏欲求は、その欠乏・飢餓状態から自己を守るための防衛的対処(精神分析で言えば防衛機制)だからである。
マズローは、防衛か挑戦・成長かというストレス対処(coping)の違いが非常に重要であることに気づいていたとも言える。
4つの欠乏欲求がある程度満足されないと成長欲求が中心的にはならない。成長欲求が阻害された状態が(a)~(d)の欠乏欲求の段階である。言い換えれば、欠乏欲求がある程度充足されれば、人間(や多くの動物)が本来備える成長欲求が顕在化してくる。欠乏欲求が充足されれば、誰でも自己防衛する必要はなくなり、自己を開き、新規な刺激・環境の探索行動をとり、他者や環境とのより肯定的で親密な関係を求め、熟達を含む自己成長・進歩の感じを求めて活動するだろう。それらの統合された状態が自己実現である。
マズローは、自己実現の達成者はそうは多くないと考えていたようだが、最近の実証研究では、それほど例外的なことではないようだ[10]。いずれにしても、欠乏欲求のある程度の充足が得られる環境にあれば、普通の人が自然に求め到達しうる欲求段階・境地が自己実現である。マズローにとって、自己実現を求める基本的欲求・動機づけ[11]こそ人間の本性であり基本的権利であった。したがって、それが実現できない社会は大きな問題であり、自己実現を可能にする社会をつくるために、人間の可能性について、科学的エビデンスに基づいた理解を促進することが自らの使命だと彼は考えていた[12]。
マズローを敬愛するカウフマンは、マズローの自己実現者の記述を注意深く質問紙項調査目に作り上げ、調査した。マズローの自己実現の内容は次のように整理された[13]。
<自己実現の特徴>
・真実追求(Truth Seeking):(例)「人や自然についての本当の真実に常に迫ろうとしている」
・受容(Acceptance):(例)「自分のクセや欲望を恥ずかしげもなく、謝罪もせずに受け入れる」
・目的(Purpose):(例)「人生における特定の使命を達成するために大きな責任と義務を感じている」
・信頼性(Authenticity):(例)「劣悪な環境や状況であっても、自分の尊厳と誠実さを保つことができる」
・新鮮な感性(味わい)の継続(Continued Freshness of Appreciation):(例)「他人にとっては陳腐な体験であっても、人生の基本的な財(活動・経験)を、畏敬の念、喜び、驚き、恍惚感をもって、何度も何度も、新鮮かつ素朴に経験することができる」
・ピーク経験(Peak Experiences):(例)「自他のために新しい地平線や可能性が開けると感じる体験が多い」
・人道主義(Humanitarianism):(例)「人類を助けたいという純粋な思いを持っている」
・善良な道徳心(Good Moral Intuition):(例)「何か悪いことをしたときにすぐにわかる」
・創造的精神(Creative Spirit):(例)「何をするにしても、全体的に創造的な精神を持っている」
・冷静さ(Equanimity):(例)「人生の避けられない浮き沈みを、優雅かつ冷静に受け止める傾向がある」
自己実現のスコアは、例えば人生満足度、好奇心、自己受容、肯定的な関係、環境の支配、個人的な成長、自律性、人生の目的など、多様なwell-being指標と関連していた。そして調査から、マズローの自己実現(欲求)は、内容的に、探索(exploration)、愛(love)、目的(purpose)、超越(transcendence)、の4カテゴリーの欲求に分類できることがわかった[14]。
成長の根底に自分にとって未知の領域の探索(探検,探査,探究)があり、最初の3つ(探索,愛,目的)が合わさって成長を可能にする。探索・挑戦なしには、新しい親密な関係性も目標達成も生まれないということだろう。
探索欲求は、(1)社会的探査、(2)冒険の追求、(3)心的外傷後の成長、(4)経験への開放性、(5)知性、などの下位欲求に分けられるが、それぞれ行動・体験欲求的側面と認知・理解欲求的側面を含む。
愛は、マズローが成長欲求に基づく愛として表現した“B(Being)-love”(強いて訳せば“存在愛,成長愛”)と対応する。それは、欠乏欲求に基づく“D(Deficiency)-love” (強いて訳せば“欠乏愛”)と対極をなす。D-loveが自己の欠乏欲求を充足させるための(対象と手段的に関わる)“欲求する愛(needing love)”であるのに対し、B-loveは(対象存在との関わり自体が喜び・目的となる)“欲求しない愛(unneeding love)”であり、他者の全存在に対する愛(love for the being of another person)である。カウフマンらは、B-loveは、“カント主義”(自他ともに、手段としてではなく、それ自体が目的であるように扱って行動すること)、“人間主義”(個人の尊厳と価値を尊重すること)、“人間性への信頼”(人間の善性を信じること)、から構成される三角形として、測定尺度も作り調査した[15]。
目的は、それを目指した活動に意味と重要性を付与する源泉である。人生の諸目的と関係諸活動が整合的・調和的で相互に強め合っているなら、その人の人生は一層well-being的(being well)になるだろう。
そして、合理的で連続的な自己成長・自己実現の先に、世界観の質的転換を伴う自己超越の世界がある。マズローも、若い時から死の恐怖(心臓疾患)を抱いてきたが、晩年の心臓発作からの回復過程で一種のピーク経験を経て解放されたようだ。それが最終的に、自己超越を自己実現から明確に分離する手掛かりになったのだろう。
自己超越は自己の拡大ではなく、自己の外にある、自己より重要な何かへの帰依・奉仕や、自己と他者との受容・共感あるいは無我・自己消滅とも言える。マズローは、自己実現した人は自己の諸欲求を統合し、優れて精神的に健康であり、葛藤少なく調和している“最高度に健康な人”としている。ところが、ピーク経験を経ると、自己観・世界認識が変わるのである。彼は次のようなピーク経験の特徴を挙げている[16]。
このような人にとって、自己は重要でなくなり、世界の苦痛・苦悩や問題を自分の問題として引き受ける。したがって、自分の快、欲求充足、幸福はあまり問題でなくなる[17]。いずれにせよ、マズローは晩年、従来の自己実現者を、ピーク経験によって自己認識や世界認識、つまり生き方が変わった人とそうでない人に分け、前者を階層の最上位に位置づけ「自己超越」と名づけた。それは人間の可能性を最高度に実現した人たちであって、自己実現者までとは質的に異なった境地の人々であった。マズローはウィリアム・ジェームズ(James,W.:1842-1910)の「宗教経験の諸相」の研究を引継ぎ、宗教を超えて――彼は一貫して無神論者であったらしい――超越の研究をより科学的実証研究の文脈に乗せようとした。だが、臨床心理学(精神分析)的事例でも行動主義的・実験心理学的研究でも、自己実現者や超越者を適切に実証研究することは困難であった[18]。またそれと関連して、当時の主流心理学会では彼の研究方向を十分に受け容れることはできなかった[19]。
彼に残された時間は少なく、彼の超越に関する言説は日々進化・深化し、それらは日記や講演等に散在し、その資料公開・出版も一部は世紀末まで遅れた。彼の晩年の思想の全貌を知るのは最近まで難しかったのだ。その資料研究に基づくと、彼は、最晩年、再び大きな心境の変化を経験したらしい。このあたりの事情は次回に触れたい。[20]
奥 正廣
専門は、社会心理学、社会工学、創造性研究。東京工業大学理学部応用物理、同大学院社会工学修士課程修了、同博士課程単位取得満期退学の後、(社)農村生活総合研究センター研究員。日本各地の地域社会調査に携わる。平成3年、東京工科大学着任。教養学環長を経て名誉教授。日本創造学会 理事長,会長等歴任。
また、文献[2]の第二版の序文でも、次のように記している。
わたくしはまた、人間主義的で第三勢力の心理学は、過渡的なもので、なお一層「高次」の第四勢力の心理学、すなわちトランスパーソナルで、人間を超えた心理学の準備段階と考えられると思う。それは、人間の欲求や利害よりもむしろ宇宙に中心をおき、人間性、アイデンティティ、自己実現などをこえてゆこうとするのである。まもなく(1968年) Journal of Transpersonal Psychology が、Journal of Humanistic Psychologyの創始者、トニー・スティックによって刊行されるが、これらの新しい発展は、多くの無言の捨てばちの人たち、とくに若者の「挫折した理想主義」に実質的で有効な満足を与えることができるであろう。これらの心理学は、人びとが、見失ってしまった人生哲学、宗教に代わり得るもの、価値体系、人生計画に発展を約束するものである。超越とトランスパーソナルがなければ、われわれは病気になったり、過激な暴力に走ったり、ニヒリスティックに陥るか、さもなければ、希望を失って無感動な人間になってしまう。われわれは、「いまあるよりも、もっと偉大ななにものか」を求め、ソローやホイットマン、ウィリアム・ジェームズやジョン・デューイがおこなったように、自然的、経験的で、教会色のない新しい観念に畏敬の念をもち、これに身を捧げようとするのである。
上記はマズローのピーク経験の1つであろうが、そのインタビューで他のいくつかのピーク経験にも簡単に触れているので紹介しておく。
マズロー:ピーク経験は、愛とセックスから、審美的な瞬間から、創造性のほとばしりから、洞察力と発見の瞬間から、または自然との融合から来ます。
私はここブランデイス大学のこの学部で過ごす中でそのような経験が一度ありました。薄暗い未来に向かって伸びる行列を見たのです。その先頭にはソクラテスがいました。その列の中には私が最も愛する人たちがいました。トーマス・ジェファーソンもいました。そしてスピノザ、アルフレッド・ノース・ホワイトヘッド、私も同じ列にいました。私の後ろには、無限の行列が薄暗闇の中に溶け入っていました。そこには、まだ生まれていない人々がいて、健康に生まれて同じ行列に入ろうとしていました。・・・
マズロー:ウィスコンシン大学での私の全トレーニングは行動主義者のそれだったのです。いくつかの他のソースを読み始めるまで、私はそれを疑問に思いませんでした。その後、私はロールシャッハテストを研究し始めました。
同時に、私は発生学につまずき、ルートヴィヒ・フォン・ベルタランフィの発達の現代理論を読みました。私はすでにバートランド・ラッセルやイギリス哲学に幻滅していました。そして、アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドとアンリ・ベルクソンに恋をしたのです。彼らの著作は、私がそれと認識することなく、私のために行動主義を破壊しました。
私の最初の子供が生まれたとき、それは物事を解決する雷鳴でした。私はこの小さくて神秘的なものを見て、私がとても愚かに感じました。自分が小さくて、弱くて、気が弱いと感じたのです。私は、赤ちゃんを産み育てた経験のある人は行動主義者にはなれないとあえて言いたいと思います。・・・
マズロー:私の人生の偉大な教育的経験は、私に最も多くを教えてくれた人たちでした。彼らは私がどのような種類の人間であるかを教えてくれました。彼らは私を引き出し、私を強化する経験でした。
精神分析は私にとって大きなものでした。そして、結婚すること。結婚は学校そのものでした。また、子供を持つこと。父親になったことで人生が変わりました。まるで啓示を受けたかのように教えてくれたのです。
そして特定の本を読むこと。ウィリアム・グラハム・サムナーの『フォークウェイズ』は、私の人生のエベレストのような存在でした。
私の師匠たちは世界一でした。私は彼らを探し求めました。エーリッヒ・フロム、カレン・ホーナイ、ルース・ベネディクト、マックス・ヴェルトハイマー、アルフレッド・アドラー、デビッド・レヴィ、そしてハリー・ハーロウ。私は1930年代、ヨーロッパから移民の優秀な人たちの波が押し寄せてきた時、ニューヨークにいたのです。
ちなみに、これと関連して、Kaufman(2020) p.83 に次のような記載がある。
*コロンビア大学のエドワード・ソーンダイクのポスドク研究助手になって、マズローは性および支配の彼の仕事のいくつかを続けた。しかし、彼の関心はますます広く、人道的なものになりつつあった。
*ヨーロッパからの精神分析家の大量移住のために、マズローが定住していたのと同じように、本当に前例のない文化的なルネッサンスがニューヨーク市で進行中だった。マズローがそれを説明したように、ニューヨークは「心理学的宇宙の中心……アテネ以来、それのようなところはどこにもなかった」 。約10年(1935年から45年)のスパンの中で、マズローは彼の世代の最も影響力のある心理学者や人類学者の何人かから学んだ。そして多くは彼の友人になった。
*彼らの中には、ニューヨークで最も著名な精神分析の実践者や作家がいた。アルフレッド・アドラー、エーリッヒ・フロム、カレン・ホーナイ、ベラ・ミッテルマン、エミル・オーバーホルツァー、エイブラム・カーディナー、デヴィッド・レヴィ、ゲシュタルト心理学者のマックス・ヴェルトハイマーとクルト・コフカ、神経精神科医のクルト・ゴールドスタイン、コロンビア大学の著名な人類学者のルース・ベネディクトとマーガレット・ミードである。
*すべての良き師(メンター)がそうであるように、マズローはルース・ベネディクト(『菊と刀』の著者:奥補足)およびマックス・ヴェルトハイマーをとくに好み、影響を受けた。彼は、彼が「愛し、慕い、そして賞賛し、非常に、非常に素晴らしい人だった」両者を理解する企てとして自己実現を研究する彼の努力を説明した。